人気ブログランキング | 話題のタグを見る

絵本作家 市居みかの日々あれこれ ichiipk.exblog.jp

好きなリンク先を入れてください

絵を描いたり散歩をしたり・・・


by ichiipk

ナマの声を


今日は、福島県飯館村の酪農家、長谷川健一さんの話を京都に聞きに行って来ました。
福島弁の素朴な語り口から、深い悲しみと憤りを感じました。

最初に長谷川さんは言いました。
「かわいそうな福島、という感じで話を聞かないでほしい。もし福井で同じことが起こったら、と、自分のこととして聞いてほしい」

飯館は、原発から40キロですが、風向きのせいで、高濃度の汚染地域になってしまった村。
もうほんとに半端なく放射線が高い地域になってしまったそうです。
その村は、「日本で最も美しい村」という名をつけ、住民たちの努力で美しい景観を作り、本当の意味での豊かな村づくりをしていました。
そこへあの原発震災。
政府や行政のウソ。
御丁寧に、エラい学者が「大丈夫だ、大丈夫だ」と言いにくる始末。
そのせいで子どもたちが被曝をし続けている。
がんばっていた酪農も、しぼった乳を捨てつづけ、ついには休止に。
家族もばらばら。
長谷川さんは区長として、酪農家のリーダーとして、行政に働きかけ、なんとかしようと必死に努力されてきたようです。
話の端々に、村への愛が感じられて、せつなくなります。
「原発さえなければ」と書き残して自殺した酪農家の人は、長谷川さんの友人だったそうです。

私は会場の一番後ろに子どもコーナーを作って、子どもをあやしながら聞いていたのですが、横にまだほんとにちっちゃい赤ちゃん連れた若い夫婦さんがいました。
「ああ、こんな人たちも聞きにきてくれたんだなぁ」と見ていたのですが、聞くと、その人たちは、飯館村から京都に避難してきた人たちでした。
事故のとき、まだ赤ちゃんはお腹にいたそうで、大きなお腹で事故の翌日に避難されたそうです。
精神的にも肉体的にも、本当に大変だっただろうなぁ。。。
その若いだんなさんは、飯館で酪農をがんばっていた人で、ちょっと語ってくれたのですが、村のことを話しながら泣いていました。
「300年くらいたったら、またもとの村に戻るのでしょうか」
と彼は言いました。
ほんと、悲しくて切ないです。
その東電原発は収束の見通しもなく、毎日毎日、放射能の被害を拡大していっています。

その上、原発てんこもりの福井でなにかあったら・・・滋賀、京都、関西一円、住んでいられなくなるでしょう。
すべてを捨てて、逃げなくてはならないでしょう。
いつ起こるかわからない地震や災害、人的ミス。
なんでこんな思いをしなくちゃいけないのかな。
心の中で毎日ヒヤヒヤしているのです。
まるで博打やん。
原発は、なにかあった時の被害が大きすぎる、と改めて思います。
そして、「なにか」は、絶対に起こると思うのです。
「なにか」あってもある程度は大丈夫な体制にしておかないと、安心して暮らせないと思うのです。

明日は、石巻から子ども4人つれて九州へ疎開する途中の一家が泊まりにくることになりました。
みんな本当に大変です。

生の声をいっぱい聞いてみようと思います。
by ichiipk | 2011-08-09 01:13